私は内向的な方です。いえ、本来内向的な方です。
最近、内向的な人はアセチルコリンを神経伝達物質に使っていて、外向的な人はドーパーミンを神経伝達物質として使っているとネット記事で読みました。
それに思い当たる節があって、数年前に統合失調症を再発させてしまったとき、多分、ドーパミンがジャバジャバでていたとき、私は普段の私とは違う、外向的な性質になっていました。
抗精神病薬をのんで、普段の感覚に戻ると、あれ?となるのですが、元々は内向的だからなんでしょうね〜
普段とは違うドーパーミン優位なとき、私は色々な事に挑戦しました。
しかし、それが今になってとても自分を助けてくれています。
統合失調症の妄想の中で、普段は気の小さい私が、人を助けるんだ!と、謎の陽性症状にうかされて、色々な人たちと話をしました。
今は色々な人と話すのが疲れてしまうように戻ってしまいましたが、確かにあのときは私はドーパーミンを神経伝達物質として使っていたのだろうと思います。
その時に、人のためになろうとして、なれなかったのですが、それでも挑戦したことが今の自分を間違いなく変えてくれています。人間は生きやすい方にしか変わろうとしません。だから、今の私はかつてより生きやすくなっています。
かつての私は会社の一員として、家庭での親として、嫁として、やるべきことをやれないことがものすごく苦痛でした。なので、身体も脳も悲鳴をあげていたのにそれでもやり続けました。結果、長い休みを取ることになってしまいました。
その間に再発したり色々して、同じ病気の人たちと話すことができました。それまで何かができないのはできない自分の努力が足りないのだと、私が我慢が足りないのだと思っていましたが、苦しんでいる同病の人たちを見て、考え方が変わりました。
人間はできないとき、できない事があって、それは悪いことではなく、当たり前のことなんだと知ることができました。
それから私は人生を変え始めました。家族に統合失調症をカミングアウトする宣言をして、それから職場でカミングアウトをしました。
できないことをできないと正直に伝えるようにしました。
無理って、どうしても辛いときでも、一歩を踏み出す感覚でやるとできたのですが、そのかわり頭の中に苦しみの脳内回路ができてしまいます。それを初めから伝えて、疲れ切る前に休むようになりました。
それは情けない自分を認めることになりましたが、そのおかげで今も働けています。
それから、障害者手帳を取りました。それを職場に提出して、配慮を申請しました。
それがこれからどう影響してくるのかは分かりません。
でも、眼球上転を正直に伝えてからは、隠していた頃には戻れないほど快適に(というよりはその前にとても困っていた)なりました。
それでも、自分の中にも最近も少し変化があって、職場への配慮を求める事と、税金の控除以外では手帳をあまり使わなくなりました。
今のところ、生活していてそんなに困ってないのに、手帳を見せて安くしてもらう必要性を感じなくなってきました。
仕事を辞めたらまた変わっていくとは思いますが。
あのとき、結果的に全然人のためにはなってない気がしますが(このブログも…💧)人を助けようとして動いたことは、自分に返ってくるのだなあ〜と不思議な恩恵を受け取っている日々です。