ここ最近、久々に統合失調症の妄想と向き合っています。
昨年、のんでいた抗精神病薬を変えて以来、気分は晴れ渡るように改善されたのだけどなぜか無理がきかなくなりました。
最近仕事のプレッシャーでストレスをため込んでいたら、とうとうここ数日妄想がでてきてしまいました。
久々の妄想…
立ち直るため、運動をしようとしたらクラっとしてそれもできず。
丸2日くらい、生活に必要なとき以外は布団の中で生活する、という病人らしい生活を送っています。
今回は、そんな中で統合失調症の妄想を自分はどうとらえて付き合ってみたか、書いてみようと思います。
私にとって統合失調症の妄想は、かなり耐え難い苦痛でした。
普段は「病気なんだから」を言い訳にしてすっかり忘れて生活していました。
久々に、妄想から逃げられなくなって、妄想とどう付き合ったらいいか考えました。
妄想で困るのは、自分以外には現実ではなくても自分にとっては現実であること。
そう。当事者にとっては現実なんです!
あう薬をのめばおさまってくるとはいえ、妄想の生々しい記憶はかなり深く残ります。
「あれが嘘だったのだろうか!?」
そんな、自分にはどうしようもない気持ちをかかえて生きることになります。
今回、妄想にとらわれて逃げられなった自分が考えた最初の折り合いのつけ方は、
「とりあえず受け入れる」
でした。
と言っても、そのまま受け入れると世間との認識のずれや、そもそも妄想の世界が怖くて世界が恐ろしいものになってしまいます。
そこで私は
「妄想も「自分にとっては」現実だ」
というかたちで受け入れることにしました。
嘘だと思えないのだから仕方ありません。
【第1段階】妄想をとりあえず自分にとっては現実だと受け入れる。
そして、それからこう考えました。
「妄想は、自分にとっては現実、他の人にとっては違う。それは、ただ、同じものの見え方が違うだけなんだ!」
だって、住んでいる世界は同じはず。ならば、統合失調症の妄想はただ世の中を見る視点が「変わっている」「ユニークな」だけなんだ、と考えるようにしました。
【第2段階】妄想は「現実の見え方が違うだけで同じ現実なんだ」と考える。
これでいくらか落ち着きました…。
それから、やっぱり病気だと考えることにしました。
この症状に「統合失調症」という名前がついていて、本当に良かった…。
「あ~自分は病気なんだな~」
と感じながら休息をとって、怖い妄想も病気の症状なんだと考えなおして、また少し息がつけるようになりました。「病気」と思わないと逃げ場がなくなりますから。
【第3段階】「自分は病気で苦しんでいるだけだ」と考える。(多少、症状が良くならないとできませんが…)
それから、個人的には妄想にはとても良いところがあると考えています。(ずっとその中にいるのは辛いのですが…)
それは、妄想が人生の苦しみをかなりオーバーに経験させてくれることに原因があります。
私たち統合失調症の当事者は、リアルの世界では他人に一切の犠牲を出すことなく、ものすごく貴重な「経験値」を得ている。
だから、現実では何も悪いことは(自分が病気で苦しむ以外は)ないのに、統合失調症を経験すると、優しく、芯が強い人間ができあがります。
病気自体で命を取られることはありません。
これって平和で建設的で、実は統合失調症の当事者の感覚は世界平和に役に立つのではないかと思うくらい(笑)
ものすごい苦しみを経験しているからか、その後、普通の人ならのたうちまわるような苦しい経験も、ケロッとしていられる人が多いような気がする。
そして、これって、自分にとってこれから生きていく中で「人生の苦しみの予防注射」になっていくのではないかと考えています。
ユダヤの人々が子どもに読み聞かせる書物、タルムードのなかに、「あるラバイの最悪で最良の災難」というお話があるそうです。(『ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集』石角完爾著より)
その人にとって一見、最悪の災難に思えることが、実はもっと悪いことを未然に防いでくれているという内容の教えだそうです。
統合失調症は現実の犠牲無しに(人によっては)最悪の経験だけをすることができる。
それが経験値となり、当事者を本当の意味で強くして後のもっと大きな災難から守ってくれる。
そんなこともあるのではないかと考えています。


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