何が幸せかは人次第

今日は下の子が調子が良くなくて、久しぶりに小児科に連れていきました。午後からは大分元気になり、ほっとしました。

ブログに、人生で一番辛かったときのことを書こうと何度も思って、消して、また書こうと思って、やっぱり諦めました。

人は、どんな人にもそれぞれの地獄があると、大好きな漫画に書いてありました。そうかもしれませんね…

私の地獄は、私にとっては地獄でしたが、言ったところで誰にも理解してもらえないという特徴があります。そのせいか、地獄とものすごい孤独がセットでした。不幸なことに、それを改善するための時間や自由も一切なく、ただでさえ足りなかった睡眠時間を削って電話相談に電話して話を聞いてもらうことでやっと自分の本音が言えました。それでもよく非難されました。でも、そのときの自分にはどうにもできませんでした。身体はいつもどうしようもなく重く、心は荒れ狂っていて、でも人には幸せにしか見えないという悲惨な状態になってしまっていました。

私は実は「幸せそうなポジション」に慣れていないのかもしれません。

子どものときは骸骨みたいと言われるほど痩せていて、気持ち悪がられたりしたこともあるし、学生のときもいつも貧乏学生らしくボロい格好をしていました。就職してからは統合失調症になったし、そのお陰である意味日の当たらない左遷コースを歩いてきました。

普通に思うのですが、幸せそうは決して幸せではないのではないかと…

幸せとは人と比べて感じられるものではありません。人から見たらどんなに幸せそうでも、「自分にとって」幸せでなければなんの意味もありません。

人に妬まれると面倒で仕方ありません。その原因が自分にとっても幸せならいくらか諦めもつきますが、そうですらないのではやってらんない、というのが私の本音です。

と、言うわけで、私の今の目標は草刈り機をバリバリと使いこなす田舎の母ちゃんになることです。職場では統合失調症をカミングアウトしたので、メンタル系自虐キャラを目指そうと思います。

私は一人前になりたいと一時は勘違いして思っていましたが、皆と同じようになろうとしてなれるものではないし、それは私にとって幸せではないと分かりました。

私にとって幸せとは、誰からも羨ましがられることではありません。

はなという生物が自分らしく嫌われない程度に、上手に社会に生息することです❗️

偉そうにできないので、私の器はその程度と思われます。人は器以上のものを受け取ると不幸になると言われますが、これまでの不幸はそれだったのでしょう(笑)

こらからの人生、受け取りすぎていた幸せに見えるけど私の器をこえるものは潔く手放していきたいと思います(笑)

元々器が大きくないならば、その器で最高にマニアックに人生の後半を楽しみたいと思います。

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