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人生には、ときどき、「もしも、あのとき違うことをしていたら、私の人生は変わっていたのかな」と思うことがあります。
もう過ぎたことなので、今さらどうしようもないのですが、最近ふと、「もしも、私が統合失調症を抱えて育児をしていたときに、病気のことをカミングアウトしていたら、どうなっていたのだろう?」と思いました。
私が妊娠した当時、勤続10年くらいでした。
統合失調症を発症してから、長く休んだのは、最初に社会復帰してから8年ほど経った頃に、1か月休んだくらいだったと思います。
障害者雇用にしてもらっていたわけでもなく、周りの人たちと同じように雇用されて働いていました。
そのため、自分は「普通」の人間だ、人並みの社会人になれたのだと思っていました。
ところが、夫と結婚することをお互いの上司に伝えた途端、夫は私のところから通えない遠隔地へ転勤になりました。
夫の会社は、半年ほどで異動するなど、変則的な転勤も多く、どこかで諦めて、単身赴任になる家庭も多かったようです。
「結婚して最初からかい!」と、私は驚きました。
そのため、妊婦健診には一人で通っていました。
すると、あるとき助産師さんから、「あなた、本当に結婚しているの? 手帳は? 持っているの? 正直に言いなさい!」と強い口調で言われました。
保健センターに母子手帳を受け取りに行ったときも、病院の名前を見た途端、保健師さんの顔つきが険しくなりました。
「困ったことはありませんか?」と、きつい言い方で聞かれました。
そして、出産後は単身赴任の夫と生活すると伝えると、「あなたの情報を、その市に必ず伝えさせていただきます」と強い口調で言われました。
それまで、統合失調症を意識するのは、ほとんど病院の診察のときくらいでした。
仕事をして、結婚して、妊娠して。
自分は普通の社会人として生活できていると思っていたのです。
それなのに、こういうことがあるたびに、突然「統合失調症の人」として見られているような気がして、戸惑いました。
当時は、今よりも統合失調症の治療薬の選択肢が少なく、社会復帰できるほど回復する人も、今より少なかったのかもしれません。
でも、私にとっては、そんなことを考える余裕もありませんでした。
「しっかり自分で育児をしないと、子どもを取られてしまうかもしれない」本気でそう心配していました。
とても孤独でした。
母乳育児はしないことになり、病院の母親教室も、母乳についての回は欠席して、子どもを虐待しないための回だけ受けました。
そして、あまりにも不思議なことが続くので、ネットで検索してみました。
すると、統合失調症を持ちながら育児をすることについて、厳しい言葉ばかりが目に入ってきました。
読んでいるうちに、涙が出てきました。
「ちゃんと育児ができなかったら、子どもを取り上げられてしまうのではないか」そんな恐怖が、ますます大きくなっていきました。
実際には、1人目の子どもは、一人でもそれなりに育てることができました。
ところが、2人目を出産すると、身体が思うようについてこなくなりました。
スマホを5センチ持ち上げることさえできないほど身体がつらくなったり、ひどい咳が3か月も続いたりしました。
そこで、統合失調症のことを伝えないまま保育園に入れようとしたところ、認可保育園には入れないと言われました。
幸い、たまたま翌年に認可保育園になる予定の無認可保育園を見つけ、そこに入れることができました。
今、私は、統合失調症を抱えながら育児をしている方のブログを読んでいます。
その方は、ご両親とも統合失調症で、たくさんの支援を受けながら、お子さんが小さい頃から普通に保育園に通っていました。
それを読んでいると、ふと思います。
私は、あの頃、一人で悪戦苦闘していました。
身体を壊して、メンタルもボロボロになりながら、それでも何とか育児をしていました。
もしも、あのとき、「私、統合失調症なんです」と伝えていたら、どうなっていたのだろう。
もしかしたら、待機児童がいても、認可保育園に入るための支援を受けられていたのかもしれない。
昼間に子どもを預けて身体を休めることができて、家事ももう少し楽にできていたのかもしれない。
そして、単身赴任の夫とも、もう少し違った形で夫婦で育児を続けられたのかもしれない。
もちろん、「たら」「れば」の話なので、本当のところは分かりません。
あの頃の私がカミングアウトしていたら、どんな支援につながれたのか。
逆に、どんなことが起きていたのか。
今となっては、確かめることはできません。
ただ、今になって振り返ると、「一人で頑張らなくてもよかったのかもしれないな」と思うことがあります。
そして同時に、あの頃の私は、病気を知られることが怖くて、誰かに助けを求めることもできなかったのだと思います。
もしも、あのとき違う選択をしていたら。
そんな「もしも」を、ときどき考えるのでした⋯。

