久しぶりにコンビニで文庫本を買ってしまいました。
その名も『京都でひっそりスピリチュアル』。
神様が視える著者が京都の色々な神社に行って神様と会話してくるという不思議な話でした。でも、読んでいると不思議な感じでもなく、それが当たり前のように書かれていて素敵でした。
統合失調症の方の中には、たまに「病気でなくて霊感なのでは!?」と思うような方もいらっしゃって、そういう人の話は面白くてつい聞き入ってしまいました。
実は私も陽性症状のときに見たり聞いたりしたことの意味を考えてしまうことがあります。
そのまま受け取ると良くないかもしれませんが、発症当時、本当に興味があったことを脳が極限を超えて考えてくれたことだと思うと、そのままでは受け取れなくても、人生の参考にはしてもいいのではないかと思いました。
それで、陽性症状のときに見た「砂漠に木を植えて、大陸に運河を造る」という、途方もない事を、できるできないはともかく、夢にしようと思いつきました。
これからちゃんと薬をのんでいけば、人生の最期まで、もう陽性症状が現れることはないかと思います。そのほうが私はいいです。
でも、時々思います。
統合失調症の陽性症状のような状態に、人生の最期に人は皆なるのではないのか?
統合失調症の人は脳がダメージを負ってしまい、人生の早い段階でなりますが、それも人生の見方を変えた一面ではないのか?
統合失調症になると、陽性症状になり、気がつくと、薬をのんでいて、とても残念な現実に気づいて、そこからまた歩きだすようになります。
会社でも社会でも、透明な存在として、ひっそりと、でも頑張って生きる日々に戻りました。
それでも、あのときの大きな夢を感動しながら見ていたことは覚えています。
見た目も実績もさえないおばさんにも夢がもらえました。
スピリチュアルでもなんでも、人生を豊かにできるならいいのではないかと思います。
そういえば、もうお盆ですね。
ご先祖様は帰って来ているのでしょうか?
私には視えませんが、それでも生きている私にできることを考えてしまう今日このごろです。