昔、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を聞いて、なんて残酷な言葉なんだろうと思ったことがあります。
置かれた場所で咲けることも、咲けなくても根を張ることも尊いと思います。でも、私はどちらもできませんでした。
本当は今住んでいる場所を飛び出して、夫と家族でもう少し便利なところでもう少しのんびりと生きていきたかったです。
自分の役割と思うことを自分でできるようになりたかったです。
でも、メンタルや身体を壊すほど頑張っても、その場所の普通の人にすらとてもなれませんでした。
置かれた場所で咲くことはどうやってもできませんでした。
かといって、あらゆる事情で動けない。
咲くどころか、置かれた場所で人間関係を築いて根を張ることさえできません。
子どもたちとさえちゃんと向き合えない自分に絶望しました。
でも、目の前のやることの嵐に、自分の心の声を聴くこともできず、どんどん追い詰められていきました。
そんな私の悲鳴を、夫も家族も聞こえなかったようでした。それが聞こえたのは、統合失調症でずっと通っていた精神科の主治医だけでした。
精神科の主治医は、診断書を書いてくれて、休みなさいと言ってくれました。
出来損ないの私の話をただ楽しそうに聴いてくれました。
それではじめて私は息ができました。
休んでいる間、色々な人の声を聞いたり、自分のことを話したりしました。色々な漫画や本を読んだりしました。体調が良くなくて、あまり思うようには読めなかったですが。自分の声も聴こうとしました。
それから、職場の産業保健師さんに正直に話して、産業医の先生に繋いでもらいました。
障害者手帳を取得して、職場に提出して配慮を求めました。
結局、置かれた場所では咲けてないけれど、私は変わろうとしています。
そして、自分が変わることで、置かれた場所を変えようとしています。