チャンス

今週は予定がぎっしりで、疲れました。

今日は、午前中、本来は子どもの習い事の送迎に行くつもりでしたが、くたびれてしまい、母に代わってもらいました。

やっと、部屋でダラダラできる時間を確保しました。

昨日は大都市のメンタルクリニックに行って、自分の周りのすごい人たちのことを先生に言ったら、「あなたは?」と聞かれて、何もできてない自分に落ち込んで帰ってきました。あ、でも先生はいい人ですよ~

私、面白い事をする人たちが好きだし、憧れはするのですが、自分がそういう事をしたいかと言うと、そうでもないというか、ボッチのひとり上手なので、あまり人と関わらずに、心のエネルギーを消費しないで生きていきたいタイプです。慣れない人に会うと、エネルギーの消費が激しいのです…

吉田松陰先生を描いた『松かげに憩う』にハマって読んでいますが、多くの人を動かす人は、経験や学びを積み重ね続けてきた人なのではないかと思います。そういう人は、現実の受け止め方が違うのだろうなと思います。

私は、現実を見ないようにして、自分を守っているところがありました。今もそうです。

かつて、吉田松陰先生ではないですが、人を変える先生に出会ったことがあります。

その先生は、大学の環境問題の研究室の先生でしたが、学生たちに、公害が起きていたその場所に行くように、そして当事者の話を聴くように言って、実際に何人かそこに行ってみたり、大きな国際会議にこっそり忍び込ませてくれたりしました。そこに行った学生たちは、それまで、有名校でない学校にしか入れなかった自分に落ち込んで、投げやりに生きていた人が、生き生きと夢に向かって進む人になっていきました。

その変化に気づいてから、私も行けばよかったと後悔しました。自分が変わるチャンスは、一瞬、本当に気づかないうちに回ってきます。そして、それを掴むと、より生き生きした人生になれるような気がします。

精神疾患になると、そのチャンスは少なくなるように感じるかもしれません。でも、統合失調症になったあとでも、私は何度もチャンスだと感じる場面に出会ってきました。

では、なぜチャンスをつかめなかったかと言うと、ぬるま湯のような人生が気持ちよかったのと、統合失調症を隠して生きてきたので、本当の意味で自分に自信がなく、できないことを伝える勇気もなかったからです。

そう言いつつ、今日も子どもと「庶民っていいよね〜」と言い合いながら、学用品の準備をしました。

人生が変わると、どんな人生が待っているのでしょうね。私の人生も、勇気を出して、職場で統合失調症をカミングアウトしてから、少しずつ変わり始めました。

それまで、いつも自分の思うようには生きられなくて破綻していたのが、自分らしく生きていけるようになってきました。

皆が目指すキラキラした道も素敵ですが、誰も通ろうとしないけもの道を歩くのが、意外と楽しい自分がいます…

「諸君、狂いたまへ」

狂うほど何かに立ち向かえる人生は、短くても充実した人生なのでしょうか?

それに近い人を眺めて、いつものらりくらり生きているばかりの自分に、たまにこれでいいのかという気持ちになります。

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