拙くても自分で考えよう

先日、職場で隣のお兄さんが、地元で事業をして成功している人のことを引き合いに出して、

「この人が100社会に貢献しているなら、自分は1くらいですよ。」

と殊勝に言うので、

「大丈夫です!お兄さんが会社に1の貢献をしているなら、私は0.01です!」

と、とっさになんの慰めにもならないことを言ってしまいました…

貢献しているという気持ちは、実は幸せに生きるのにとても大切なものらしいです。特に会社などで顕著ですが、普通に生きていても、貢献することを求められるような雰囲気の中にいると、そうでない自分の存在が辛くなってくることがあります。私も会社にいるときは、「普通」に働けない自分に辛くなることが多いです。

でも、相手の求めに応じる貢献は、そんなに頑張らなくてもいいような気もします。

人生の最後の頃は、きっとほとんどの人が貢献なんてできません。

日本一自殺率の低い町のことを調べた本で、その町の方はどうせ自分なんて、とは考えないとありました。

自分が世の中に対してできることは何もないとも考えないようです。

自殺率の低くない他の地域の高齢者が、自分はもう役に立たないと言っているのに対して、自殺率の低い町の人は、自分の頭で考えて、自分の意思で動いているように思えます。

幸せに生きるのに、周りの価値観に流されないことはとても大切だと思います。

でも、どうしたら、そんな生き方ができるのでしょう?私が自由に生きることを自分に許せるようになってきたのは、同じような悩みを持つ人達に会って、話を聞いていくうちに、自分が悪いわけではなかったと気づくことができたからです。

社会のマジョリティ、社会を動かしている人たちには、マイノリティの気持ちや事情は見えにくいものです。

でも、できないことが普通のところに行くと、皆できないので、自分が悪いわけではなかったと気づけるのだと思います。

実は、このブログもいつも続けようか迷っています。

私は、統合失調症の悩みの渦中にいる方に失礼なことを書いているのかもしれません。

実際は全然キラキラしてなくても、キラキラブログに見えるそうです…

気持ちを傷つけてしまった方たち、読んでいたらすいません。

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