もうすぐ長かった休職が終わります。ほっとしたような、でも数ヶ月後には仕事が続かなくて今度は無職になっているかもしれないし、本当に人生は先が見えませんね。未来は誰にもわからないので、今をおもいっきり楽しみたいです。
世間の人は、何か役割がないと自己肯定感が下がって自分の生きる意味が分からなくなって苦しむ方も多いようです。私ももれなくそんなところがあります。
今日は、母がコロナの予防接種の副反応で高熱をだして、変わりに家事のほとんどを私がやることになりました。日頃どれだけお世話になっているか身に染みます。余談ですが、眼球上転を起こしながら料理をするのは大変でした…
私は統合失調症が再発して、仕事を休職して一年以上、仕事も家事もかなりの時間、人任せに過ごしていました。あまり役割のない、よく言えば自由、悪く言うと自分の存在価値がなくなったようで不安になる、そんな一年を過ごしました。
役割をもつって人間のメンタルにはとても大切らしく、20年前に入院していた精神科病院では、長期の入院をしている方にも、ご飯の時間を告げてまわるとか、配膳とか、片付けとか、洗濯物を畳んだりとか、やりたい人には役割がありました。
一方で、家のなかで、一見役割がないようでいて、その人がいるだけでなんとなくまとまったり、皆が安心していられたりするような人も存在します。
いてくれるだけでいい存在。
人徳があるんでしょうか、そんな人は実はすごいのではないかと思います。でもその立場ってきつくもありそうだなとも思います。
きっと人生の最後の頃、誰もが生きるだけで精一杯になって、ただ存在していることを認めてもらえたら、そんな社会になったら、本当に救われる人がたくさんいるでしょう。
役割があることも素敵ですが、ただ生きていることを肯定してもらえることも素敵ですね。
統合失調症になって、私はたくさんの役割というか期待から一時的に自由になって、とても嬉しかったです。病気になっても、何かをすることができなくても、ただいることを、のんびり過ごしていることを、苦しんでいないことを肯定してもらえるって、本当にありがたいです。
統合失調症になると、長い期間、役割をこなすというより生きているだけで精一杯になるときがあります。
そんなときに何の役割をこなすこともできなくなった自分を怒りもせずに、なんとなくいることを認めてもらえた環境は、療養にとても良かったのだと思います。
その後、統合失調症から回復した後、人には誰にも事情があって、そのとき生きるだけで大変なときがあることを知ることができたのは、色んな人と関わるときに、現状を理解する力や、受け入れる力をとても伸ばしてくれて、生きることをとても楽にしてくれました。
こんな経験も、やっぱり役に立ってますね!