「普通」になろうとしなくていい

私は入社2年目に統合失調症を発症しました。そのとき、自分らしさを捨てて、職場の「普通」になろうとしていました。

今考えれば、同化しようとしていたその人達は確かに会社の主力の方達なのですが、同じように生きるには、私にはメンタルも体力ももちませんでした。

私は入社2年目にして、会社の「普通」から脱線することになりました。

では「普通」でないと幸せではないかというと、適量の仕事、私と同じように、大変な世界では生きられないタイプの仲間、統合失調症だと分かっていてもそれすら言わないで友達付き合いしてくれた友人、と統合失調症になる前よりはるかに幸せに過ごせました。

子どもを産んで、「普通」に子どもの面倒を見られるお母さんになろうとしました。

そもそも旦那が転勤族で、知っている人がほとんどいないなかで「普通」に子ども2人をみるのは、私には不可能でした。私は統合失調症だったので、病気を悪化させて子どもに何かあっては危ないと、子どもを自分だけでみるのを早々に諦めました。生後7ヶ月の下の子を保育園に預けてしまいました。それで、スマホを5cmも持ち上げられないほど疲れていた難局を切り抜けられました。

子どもを抱えながら仕事に復帰してまた職場の「普通」になりたくて、残業しながら仕事をしていたら、メンタルにも身体にもガタがきました。

私は職場の「普通」を諦めて、長い休みをいただくことにしました。

今やっと、メンタルも身体も回復してきました。あのまま「普通」になろうとし続けていたら、私はメンタルも身体も壊していたでしょう。生きていたのかさえあやしいです。

「普通」って、「あたりまえ」みたいに聞こえるかもしれませんが、普通じゃありません。実はとても大変です。あらゆることを普通でいられる人とは、実は非凡な人なのではないかと思います。

そういうわけで、私は「普通」はさっさと諦めて、プライドは捨てて、できないことは人にお願いして、自分に無理しないでできることをやることにしています。

「普通」にできるはずという常識は疑った方がいいです。

せっかく統合失調症になったのだから、「普通」の呪縛から離れて「自分らしく」「人間らしく」生きたいですね。

タイトルとURLをコピーしました