夢は気づいたら叶っている

私は子どものとき、親が忙しくて結構放っておかれました。曾祖母とか祖父とか祖母とか、近所のおばあちゃんとか、そのときに手の空いた人にあんまり熱心に関わられずに、ながら育児みたいに育てられていました。

それが辛いかというと、育てる方も無理してないし、無理強いもしてこないから本当に楽で、子どものときはマイペースに過ごせました。

小5のときに親戚のおじさんに「将来の夢って何」と聞かれるまで、夢に夜見るもの以外の意味があることを知りませんでした。中学校に入ってもしばらくの間、曾祖母が昔言っていたので外国人は皆左利きだと信じていました。そのくらい常識を知りませんでした。

都会に住んでいるいとこがよく遊びにきて、歯の矯正をしたり、中学受験をしたりしていても、自分はボロボロの歯で学習塾も行かなかったけど、それを嫌だと感じることがありませんでした。今思うと微妙な構図だとは思うのですが…

人って強制されてなくてそこそこ自由でいられれば、そこそこ幸せなんだと思います。

そんな自分には本当に将来の夢がなかったかというと、あったのを思い出しました。

私はキュリー夫人に憧れていました(笑)

でも憧れている部分がラジウムを発見したところやノーベル賞を取ったところではなくて、勉強に打ち込みすぎて寒い冬に本を布団の上に毛布代わりにかけていたところとか、レントゲン車で戦場でたくさんの人を助けていたところとかでした。

私は高校で自分が苦手なのに理系を選択して、技術者になることを目指しました。技術を手に入れて、社会の問題と格闘したいと思っていました。結果、見事に失敗してしまいました。ちなみにセンター試験では数学も物理も化学も3割くらいの正答率でした。才能がありませんでした。それでその道を諦めました。

ところが、自分の得意な社会と国語で進学して、好きで得意なことばかりやって楽しんでいたら、いつの間にか同級生にも羨ましがられる会社に入っていました。会社でも普通の人のようにはできなくて、分からないことは人に聞いて、皆がやりたがらない一見地味なことをできるだけ丁寧にやっていたら、気がつくとキュリー夫人の伝記で憧れていた部分の生き方に近い生き方ができていました。私は努力をしながら、仲間と一緒に問題と格闘しているのがとても幸せなのだと今は分かりました。

結局、自分がやりたかったことには、優秀な成績で理系の大学を卒業しなくても関わることができていました。

人は意外と自分の本当にやりたいことが分かっていなかったりします。

何かに憧れていても、本当にやりたいのはそのキラキラしたところではなかったりします。

そして、情けない仕事しかしてないとはじめは思っていても、それに一生懸命取り組んでいると、地味な仕事でもとても夢があって面白い仕事になります。

本当の夢って、実はキラキラしてないのではないかと思います。自分ができることを一生懸命やっているとなぜか叶っていたりします。不思議です。

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