育児の「助け」を探し歩いたその1(統合失調症の妊娠出産育児体験記20)

統合失調症を抱えながら、小さい子ども2人の育児をして、絶えずお世話をしなければ生きていけない小さな命がそばにいるのに、自分はスマホを膝より上に持ち上げられないほど疲れきる事態になってしまいました。

夫は半日だけ仕事を休んで助けてくれて、母も3日くらいはるばる実家からきてくれました。その時は涙を流して感動したのですが、同時にこの状況は私1人ではもうどうにもできないところまできていると感じていました。

上の子だけのときはどこにでも連れていけて、市の主催の離乳食教室にはフルで参加して、家事も育児もブログも、本を読む時間まであって、それで育児を甘くみていたことを痛感しました…

赤ちゃんには育てやすい子もそうでない子もいるし、2人の育児は1人のときより余裕がなくなることを産んでみて初めて理解しました。2度目だから余裕な訳でもないのです。

そして、育児は夫や母が助けてくれるのは「当たり前」ではなく、ありがたいことだと思えたけれど、同時に育児の責任は私にあることに周りの対応を見て、自分が窮地に立って、初めて気づきました。遅いですが…

子ども2人をみて7ヶ月、スマホも膝より上に持ち上げられないほど疲れきっているにも関わらず、1人で子どもを育てなければならない事態。私のなかでは非常事態でした。たびたび息をするのも苦しくなって、消えたいと涙を流しながら思いました。それでも目の前に子どもがいて、泣いていて、身体は重りがついているように辛くても、もう少しだ、いける、と自分をだましながら育児をしていました。

下の子を産んでからは身体も辛くて、人が見たら驚くようなひどい咳が止まらなくなり、それが3ヶ月続いたこともありました。咳の度に尿が漏れるのですが、トイレに駆け込む暇もなく、家にいるときはいつも夜用のナプキンをつけて生活していました。子ども2人を絶えず見ているので、なかなか病院にもいけませんでした。

何度もくじけそうになりました。

ただ、私がつぶれるのは勝手だけど、子どもをどうにか育てなければ子どもが死んでしまう…

やはり目の前の子どもは可愛かったです。

それで、追い詰められながらこの後、色々考えながら行動して、色々やらかすことになります。

これから私のしたことは何も知らない人から見れば、私のワガママに見えるかもしれません。でも、私は統合失調症を抱えていました。そして子どもも抱えていました。限界を越えた限界で、もう動かせないと思う身体を無理矢理動かして、目の前が薄暗く視野が狭くなっているなかで、統合失調症が再発したらどうなるかを考えないわけにはいきませんでした。

もし、再発したら、私はこのかわいい子どもたちをどうする親になってしまうのだろう?自分自身を信じられなくなりました。

それでも私が産んでしまった。子どもを幸せに育て上げたいと思っていたのに、気づけば自分が不幸のどん底に落ちてしまいました。

まず、統合失調症の病名を伝えておいた保健センターの保健師さんの相談電話にかけてみました。

膝より上にスマホが持ち上がらないほど疲れたことを伝えたところ、「あなたが危ないのは分かったから覚えておきます!」といつでも私が発狂したら動きます的なことを言われました…いや、発狂してからでは大変なことになるのだけど…それでも、強く言う気にもならないで普通に了解して電話は切ってしまいました。ここで私が騒いで、クレーマーになってしまえば、これまでわざわざ行政に「統合失調症でもちゃんと育児していける」という発想になってもらうためにしてきた努力が全て無駄になってしまいます。

保健師さんは問題がおきてからでないと動く気はなさそうでした。

本当は今だったら、堂々と統合失調症を理由に助けを求めたかもしれません。行政も信用できたと思います。ただ、当時、ネットで検索すると統合失調症の母親が子どもの面倒も見れなくて、育児放棄をした!みたいな記事がたくさんあって、統合失調症を抱えながら育児をするなかで自分にも偏見がありました。今となってはとるに足りないと思えるかも知れませんが、私は育児をしくじったら、知らない土地で子どもを取り上げられて戦犯のように責められるのではないかとどこかで本気で思っていました。統合失調症だと伝えると、度々悲しい気持ちになることが多かったのも災いしました。上の子の妊娠が分かったとき、「おめでとうございます」ではなく「産むんですか?」と言われたところから始まってましたから。

仕方なく他の助けを探しました。

保健センターから郵送されたお知らせのなかに社会福祉協議会のヘルパーの制度があって、転勤族も使えると書いてあるのを見つけました。

早速電話して聞いてみたら、利用できるとのこと。1週間ほど1日2時間ずつ来てもらいました。

それでもくたくたの身体がどうにも動きませんでした。そこをエビリファイという薬の賦活作用で無理矢理力をだして乗りきっていました。

次に、近くのNPO法人が運営している子育てサロンに子ども2人を連れていってみました。正直、外出する体力がなくて、子ども2人分のオムツとミルクとお弁当をもっていく準備だけでくらくらして、足を踏み外しそうになりながら恐る恐る車を運転していきました。最初に行ったとき、そこを主催しているおばあちゃんが「ここでは皆、自分のことは言わないで世間話をして、ただただ時間の過ぎるのをやり過ごしているんだよ。そうするといつの間にか時間が過ぎていくから。」と言われました。ただ耐えて、時間が過ぎていくことを祈るばかりの現状…統合失調症で入院したときより子育て中の母親の方が心の闇が深いのに驚きました。そこは知り合いのいない転勤族のお母さんたちが多くきていました。精神疾患のお母さんもいました。

ある日、上の子の病院を受診するためにそこの託児サービスを利用することにして、登録用紙に夫の会社名を書きました。後日、あるボランティアさんが当番の日に当たりました。その日にそこに行くと、私の個人情報が普通に会話のネタにされていました。私は会話の輪にすらいれてもらえず「転勤族は収入がいいんでしょ?いいね」という嫌みだけたまに言われて、辛くてそれからそこにはいけなくなりました。

そのボランティアさんも子どもを見ながら働いていた母親でした。多分、無償でやっていて、転勤族と聞いたらお金には困らないイメージがあるから、何でこんなやつのために、と思うくらいにその方も疲れきっていたのだと思います。

ちなみにその頃、育児が孤独過ぎてある子育てコミュニティに参加しました。管理人さんが圧倒的に足りておらず、ちょっと何か書くとよく炎上してました。子育て中のお母さんたちは、先の事は何も考えられない、孤独で、今生きるのが辛い。病気に関係なくそんなお母さんたちが嫌というほどいることに気づきました。

なので、後で統合失調症のコミュニティの子育てグループが平和過ぎて驚きました。病気でないお母さんは、辛くても何の支援も受けられない、夫も協力してくれないという人が大勢いました。

当時住んでいたアパートの、多分精神疾患ではなく、転勤族のお母さんがいました。その家からよく子どもを怒鳴り付ける罵声が聞こえてきました。夫が外でタバコを吸いながら「かわいそうで聞いていられない…」と言っていましたが、そうならないように生きていくのにたくさんの工夫と努力をしても、一歩間違えば自分もなるだろうと、とても他人事とは思えませんでした。

転勤族のお母さんのブログを読んでいたら、やはり孤独と助けがない中の育児でアパートの壁を蹴りすぎて穴があいたと洒落にならないことが書いてありました。

どうにも疲れきったある日、ふと、「保育園」の三文字が頭をよぎりました。

保育園には、国が定めた基準の人数の保育士さんがいて、設備も基準を満たしている認可保育園と、それ以外の無認可保育園というものがありました。

調べてみると、認可保育園は市役所が入れるか審査して決定すると知りました。そのとき住んでいた市では待機児童がどこで何人いるか公開されていて、そもそも働いてない私には認可保育園に子どもを預けることはできないだろうと諦めました。

次に近くの無認可保育園をネットで見つけて調べてみました。調べれば調べるほど、あまりいい環境ではなく、子どもを預けるには心配になりました。それでも疲れきったときに電話してみたら「料金は見学に来てもらったときにお伝えします」と言われて、足元をみてふっかけられそうだし預けるのに危険な保育園だと思い、そこはやめておきました。

長いので次に続く。

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