偏見があるからこそできる挑戦

統合失調症への偏見は大分減ってきたとはいえ、相変わらず感じることはある。

偏見というよりは「知らない」ゆえに「統合失調症の人にどう対処したらいいかわからない」「なんか怖いイメージがどことなくある(人もいる?)」というほうが正解かな、とは思う。

例えば「統合失調症」で検索していると遺伝のことについて言及されているウェブページをよくみたのだけど、統合失調症の遺伝について書いてあるのって、世間の偏見の目が大きかったから、情報を必要な人達にとっても「子どもも統合失調症になるかならないか」はとても重要なことだから載っていたのだろうと思う。(だからといって統合失調症の遺伝について記事を載せるなと言いたいわけではない。)

統合失調症になりやすくなる体質が遺伝するのは糖尿病になりやすい体質が遺伝するのと同じくらいだと何かで読んだことがある。糖尿病だって大変な病気だ。全身の健康に影響してくるし、時には命を落とすこともある。

それでも統合失調症以外の病気で「遺伝」がここまで大きく情報として取り上げられる病気はそれほど目立たない。結婚相手の親が糖尿病だという理由でフラれたとは聞いたことがない。(実際のところはわかりませんが…)

最近、統合失調症とは関係のない女性だけ、特に母親中心のコミュニティに参加させていただいた。

その中で、このブログを公開してみた。公開しても好意的に反応してくれる人もいたし、それを問題にすらされたこともない。

それでも、自分自身に引け目を感じてしまうことは正直ある。

私を怖いと思われないだろうか?

私をどう扱っていいかよくわからないと思われたらどうしよう?

それは社会からの偏見というより、自分のこれまでの心の傷がそうさせるだけの、自分自身への偏見によるところが大きい。

結局のところ、何かあったとしても、統合失調症だからなのか、私の伝え方がうまくできなくて誤解を生んだのか、または、ただ合わなかっただけなのか、それは自分で推測する以外にない。

統合失調症に限らず、バックグラウンドの違う人達の中で、違いを認め合いながらコミュニケーションをとっていくのは簡単ではない。

私も人生に行きづまらなかったらいちいち統合失調症を前面に出す事も無かったろうと思う。

ではなぜこの病名を前面に出しているのかというと、一当事者としての経験が、今一番自分の中で課題となっていることに取り組むのにとても役に立つというか、表現するのに避けては通れないからなのだ。

日本の女性、特に母親を取り巻く偏見は質は違うが統合失調症より根深いような気がしている。実は統合失調症を出さないでただのワーキングマザーとして、現状と困ったことを何度も色々な場で表現してきたことがあるのだけど、そのたびに結構な反発にあってきた。男性からもそうだし、女性でも年配の方などにはひどく違和感をもって受け取ってすらもらえないことが多かった。

なのに、「統合失調症」を出すとなぜか聞いてもらえる。統合失調症への偏見が自分の社会での課題を表現するのに役に立つ日がくるなんて思ってもみなかった。

社会で生きていくのに、偏見の対象と思われているものを公表するには勇気がいる。でも、だからこそ、普通は受け取ってすらもらえない意見を一応でも聞いてもらえる。

今度は統合失調症の力を借りて世の中に挑戦してみようと思っている。

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