最近は自分からSOSをだしてきちんと休ませていただいています。
それでも実は内心かなり焦っているし凹んでいます。
これまで育休や病気療養中を除いてずっと仕事をしてきたので、それがないと正直生きた心地がしません(^^;)
自分に収入があって世の中で生きていく力がないとどれほど理不尽なことがあっても誰に言ってもどうにもならない経験をたくさんしました。
4年の育休の最後の1年は気が気ではありませんでした。
なんだかんだ言って、休職して仕事にブランクを空けることには多大なるリスクがあります。休むことで職場の動きからは取り残されるし、人間関係も消えていきます。それまで積み重ねてきたつもりの信頼もまた作り直さないといけないかと思うと溜息がでてきます…
それでも、どんなに仕事をやりたくても後退する以外に選択肢がないときがあります。これ以上頑張っても、頑張り過ぎの先にあるのはもっと長い休職か退職、最悪の場合再起が難しくなるほどの体調の悪化があるだけです。
私は今回は主治医と話し合った結果、現状の私の体調では早めに復帰してもすぐにまた休んでしまうだろうと思い、はじめから長めの休職の診断書を書いていただきました。統合失調症とカミングアウトしておいたので、それも言いやすかったです。実は前回1年近く休職したときは、当時の主治医に1ヶ月(後半は2か月)ごとに診断書を出してもらっていました。そのころ受診していたクリニックは先生が一人しかいなかったのですが、休職のための診断書は2人の医師の同じ内容の診断書が必要でした。
当時の上司はよく突然電話をかけてきて「いきなりだけど1週間後(ひどいときは2日後)までに2通の診断書をだして!」と言いだしてきて非常にあせりました。「人事にいきなりそういわれたんだ!」と言うのですが、その頃は婦人科の手術も必要になっていた時期だったので、身体の調子も万全ではないなか、違う医療機関、しかも「統合失調症」と書かないでくれる医療機関を探して事情を話して緊急で予約して(しかも2か所)、どちらも2~3時間かけて受診して期日までになんとか書類を提出しました。それを何度も繰り返されました…
本当は私のようなよく休む社員はリストラしたいところなんでしょうが、それをしないでくれているだけありがたいとは思っていましたが、体調の悪いときにこれはかなり辛かったです。正直これがなければもっと早くに復帰できたのではないかと思えるくらいでした(^^;)
とにかくそういうわけで、今回は話を聞いて理解してくれる主治医に転院しておいて(当時は診察が10分の時間制限があり伝えきれなかった)、何とかこの内情を説明できて最初から長めに診断書を書いていただけました。もう無駄に苦しみながら休むのは嫌ですから。今は先生が複数いるクリニックなので一か所で済むので本当に楽になりました。おかげ様で療養に専念できています。
正直、自分が定年まで今の会社に勤め続けられる自信はありません。すでに4年の育休を取って復帰した時点で社内では「一人前の仕事はできない」自分になってしまっているのを感じています。
それでも少しでも一人前に近づきたくて体調も家庭の事情もあるのに無理を重ねて結局1年もの長期間休職することになってしまいました…
その後、職場復帰してからも色々な意味で限界を感じて一時は上司に退職の意向を伝えましたが、当時の上司たちがいい人達でずっと何となく保留にしてくれていて、そんなとき1ヶ月また病気で休んでしまいました。復帰したとき「迷うくらいなら辞めなくてもいいじゃない」と言ってくれて退職を取り消してくれました。そのおかげで私は今も現役でいられます。
ただ、いつまでも今の仕事を続けられるほど自分の体調も家庭の状況も会社の状況も整ってはいないので、今の休職期間のうちにできる限りのことをしておきたいと考えています。
認めたくはありませんが、生きていくうえで会社や社会には戦いの要素が多くあります。「職場は戦場よ!なめてんじゃない!」なんて一度ではなく言われたことを思いだします。戦うのは苦手でも、どこかで自分の体調や環境を整えて、いくらかでも生きていく道具を作り、つながりも作り直して、助けあえる人を見つけて、その人たちと助け合いながら生きていくしかありません。社会とはそういうもので、どこに行ってもそれは避けては通れないと思っています。
私はずっと組織でお気楽バックオフィス的な仕事をしてきてしまい、今は年齢もいっていて子どもも抱えているので転職は正直厳しいのが現実です。1年の休職期間にそれは痛感しました。当時の私にとって一番条件の良い転職先はオープンで障害者雇用枠の事務でした。障害者手帳すら持ってないのでそれも厳しい。そこすらも、私の住所からは1時間半通勤にかかるところでした。
ちなみに転勤族の夫は半年で転勤になったこともあります。夫の勤める会社にはどこかに家を買うと引っ越しを伴う辞令が必ずでるというジンクス(大いなる実績ともいう)があります。異動を拒否するとクビになった人もいるそうです。いくら夫と一緒に暮らしたくても引っ越しを伴う転勤を短期間で繰り返されたら私も子どももおかしくなってしまいます。
実家から子どもを連れて独立することも考えましたが、そうすると私の仕事の継続が難しくなります。自分だけで二人の子どもの面倒を見ながら残業ありフルタイムの仕事を継続するのは私には現状では無理です。(夫は子どもの教育のため先々は親元から独立して都市部に転居して欲しいと言います。)
かと言って、私が仕事を辞めて夫の稼ぎだけで2世帯の生活を回すとなると、正直生活が苦しい…私は仕事をするのも厳しくなる。時間的体力的にも本当に一人で子どもや家事を全て回さないといけなくなります。転勤族って本当に大変です…しかも夫は学歴がものを言う世界に住んでいるので子どもの進学を強く望んでいる。それをやらなければならないのは私です。夫は遠いところで仕事だけしてれば許されます。
私って何のために生きているのだろう…
それでしばらく途方に暮れていました。
そんなとき同じ統合失調症の方たちと話す機会がありました。それまで、自分にはどうしようもないことも自分が努力と工夫で何とかしてきました。疲れ切った身体と心に鞭打って、自分の望みではないことを死ぬ気で実行していた自分の方がおかしいのではないかと思うようになりました。
それから夫に言いたいことを言うようになりました。やりたくないことはNO!と言えるようになりました。本当はやりたかったけど、自分だけではできなかったことを協力してほしいと言えるようになりました。
職場にカミングアウトしたときに、子どもにも統合失調症をカミングアウトしました。そのおかげで、子どもの前で親にも体調を日ごろから話せるようになりました。今まで色々な病状でも自分だけのあらゆる工夫と気合いと唯一の協力者のH先生を頼りに乗り切ってきていましたが、H先生亡き後は丸腰で戦場にだされているような状態でした。それが、カミングアウトしたことで、親にも子どもにも「理解できないほどの苦労をしてきた」くらいは理解してもらえ、本当の意味で協力してもらえるようになりました。以前はそんな自分ではダメだと思っていましたが、そんな自分でもいいか、と許せるようになりました。
今は生きるのが大分楽になってきました。
まだまだ傷が深く、治しながら社会で生きていくための方法を探っていかないといけないのでお気楽には生きられませんが、正直な自分の気持ちに気づいたら心の中に夢もでてきたので、生きるのが楽しくなってきました。それに向けて少しでも自由になっていけるように今も希望をもって生きていけるようになってきました。
自分の弱さを受け入れて私は変わりつつあります。
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