弱い自分が辛かった(統合失調症の妊娠出産育児体験記14)

下の子を出産したころ、上の子は保育園であらゆる感染症をもらってきていて、当時自分は身体が動かないのに鞭打って病院に連れていく日々を過ごしていた。

自分の車を夫の赴任地に置いてきてしまったので、いつも母親に実家の車を運転してもらっていた。

実家は一番近いコンビニまでいくのにも車がないといけない。

上の子が病気になるたびに母親に車を出してもらうのが苦痛だった。

「お世話になる」のが嫌だった。

「誰の金で大学に行かせてもらったと思ってるんだ!」

「お前には1千万はかけたよな。だから何をされても怒るなよ」

私はどうしても自分で生きていけるようになりたくて、そのために大学に行っておきたくて親の経済力に頼ってしまったけど、その結果しょっちゅうこういうことを言われる生活をしていた。

子どもの頃は親の認めない支出はしてもらえなくて、自分だけ歯医者が途中で虫歯にかぶせるものがないまま治療を中断されて放置されていたり、高校の半ばまで私服が無かったり、眼鏡の度が合わなくなって一番前の席に座っても黒板が見えなかったのに買ってもらえなかった。どんなに一生懸命に訴えても立場の弱い自分の話は聞いてもらえなかった。学校では一見優等生だったが、努力すればするほど親が自分をコントロールしてきて親の思う通りの進路にしか行けなくなっていった。それなのに父親からでてくる言葉は私がばかで間抜けで自分ではなにも考えられないことが前提のものだけだった。高校はアルバイトも禁止だったし小遣いもやりくりすら許してもらえず、救いがなくて、毎日父親を殺して自分も殺す夢を見ていた。

何とか大学を卒業して無事に自分で生きていけるようになったと思ったのに、子どもを産んで育てるのはどうしても一人ではできなかった。またあの地獄に落ちるのが怖かった。気持ちはすでに地獄にいた。

自分が自立できなくなるのが怖かった。お腹の大きくて、これからどうしても親の助けが必要になるときに父親から「老後を見てほしい」と頼まれた。弟が家を継ぐ話になっていたが、「介護」だけは娘にやって欲しかったらしい…実家は田舎で社会資源があまりなく、私も体力がない方なので仕事を続けようと思ったら断れなかった。ケアする側がこんなにハンデを背負うことをそういう立場になって初めて知った。そして、時間とか体力とか精神力とかをとても消費して、でもそれが女の「当たり前」で経済力を結局夫に頼らないといけなくなってまた奴隷のような生活に戻るのが怖くてしかたなかった。

この頃からいのちの電話に相談することが多くなったが、いのちの電話の相談員さんは時間に余裕ができた年配の人が多く、そういう人からは「わがまま」以外の何物にも映らなかったらしく、とくに男性には理解してもらえなかった…

統合失調症にも関わらず、仕事ももち、子どもも二人いる。稼ぎのいい、育児に協力的な夫がいて、実家も助けてくれる。はたからみたらかなり幸せな環境にも関わらず、自分の生きていきたい方向と全く逆の道に進んでいることに元に戻れなくなってから気付いた…

この頃から、子育てを心から楽しむことがどうしてもできなくなった。

一生懸命育児をしたし、子どもはできる限り大事にしていたが、昔のように純粋に育児を楽しめることはなくなった。

夫にはもう7年くらい気持ちを伝えているが、はじめの頃は自分に都合の悪いことを言われると「俺にはなにもできないから…」と黙られるし、夫には今の会社で築いてきた地位がある。育児は夫が困らない範囲でできる限り協力してくれた。

でも、あくまで「協力」であって「当事者」ではなかった…

このころから、他人からみたら最高に幸せなのに自分にとっては地獄にいるような辛い気持ちでの日々になってしまった…誰も自分の気持ちを理解してくれる人はいなかった…

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