主治医を変えたときの話(その2)

前回の続きです。

当時、仕事と職場の人間関係で体調を悪くした私は、当時の主治医に頼み込んで「統合失調症」と書かれていない診断書を職場に提出した。

上司は渋い顔をしながら受け取ってくれたものの「絶対に1ヶ月で復帰しろ」と無茶なことを言い出した。体調とは気合いだけでコントロールできるものではない。上司はパワハラの存在なんか認めていない。当時のパワハラの主が「やっぱり職場には誰か犠牲者がいないとしまらねえよな~」と言っていても聞いていないふりをしていた。過大な業務を押し付けられたときにもっと上の上司に「これはパワハラです」と直訴したこともあるが、絶対に認めたりはしない。そのときいた職場は、見えない身分制のようなものが存在していて、本社の重役の奥さんとかそういう「つて」がある人が何を言ってもそれが「正しい」と上司まで認めてしまうひどい風習のあるところだった。そういう人達がパワハラの相手を見定めるとその対象者には地獄と化す…逃げ出したいのに、そんな職場に限って異動希望をだしてもそう簡単には「いじめられながらも都合よく働いてくれる」人間を逃がしてなんかくれない。

「仕事」自体は大好きだった。もう「愛している」と言いたいくらい好きだった。でも、このままでは倒れてしまう。こういうときH先生は持てる力の限り一緒に戦ってくれたが、H先生はもういない。当時の主治医には「もう2度とくるな」と言われているような状態になってしまった。気分的には戦場で負傷したのに丸腰どころか服すらもはぎとられたような気分だった。

一か月の診断書を提出して仕事を休みながら、とにかくどうやって態勢を整えるか考えた。パワハラをまず何とかしなければ体力が落ちていくばかりだ。その時すでにストレスでかなりおかしくなっていたので毎日、時間の空いたときにはあらゆる電話相談をかけまくるような人間になってしまっていた。命や健康をかけて育児や仕事をしていたって、それが一見社会的には「幸せ」であるために、同情どころか「うらやましい」と言われたり、「全てを独り占めしようとするからそんなことになるんだ。何か手放せ」と言われることも多かった。私だって手放せる状態なら手放している。しかし、産んでしまった以上子どもを手放すって、していいのだろうか?毎日「ママ」と言って甘えてくる子どもたちを。仕事は、自分にとっは「心の支え」だった。日本の女性は実は統合失調症の人よりも人権が無い。子どもを育てていると、特にそうだ。育児で時間がないからお金を稼ぐこともできない。子ども手当だって夫が受け取る。お金がないとは、どうしてもいやなことがあったときに「なら自分で何とかします」ということができないことになる。それに対抗するには「社会とかかわっていく力」「社会とかかわれる立場」「いざというときには自分の意思で生きていくための経済力」があると圧倒的に有利だった。だから仕事が辞められなかった。

育休を4年取って復帰したとき、統合失調症から復帰したときよりはるかにダメージが大きかった。4年という歳月でそれまであった職場の人間関係がほぼなくなってしまった。仕事は「信用」で進めていくものだから、再度それを作らなければならない。

旦那なんてそんなときなんの助けにもならない。「辛い」と言おうものなら「僕には何もできることはないから」と黙り込まれてしまう。手放してもいいなら旦那を手放したかったが、旦那は離婚にも応じてなんかくれないし、「死にたい」といったところで「そんなこと言うな」と言い返されるだけで旦那にとっては居心地のいい環境を私のために変える気は毛頭なさそうだった。

子どものいる学生時代からの女友達や妹とだけは励ましあえた。たとえ同じ女性でも、上の世代の人は「私のときはもっとひどかった」「当たり前」「いい旦那じゃないの」と言って一切わかってくれない。子どものいない人にも言えいない。

もう、何かを手放していいなら、旦那だけを手放して、二度と結婚しないで、子育てと仕事にうち込みたい。それで嫉妬や妬みがなくなっていくらかでも社会の風当たりがなくなるなら、その方がいい。(実際はシングルマザーへの偏見も大きいと思うのでそれはそれで大変だと思う。)

私はことあるごとに旦那に暴言を吐くひどい人間になってしまった。自分で自分が嫌いだった。毎日死にたいと感じていた。統合失調症になったときよりはるかに深い闇に堕ちてしまった。

パワハラだけでもなんとかしたくて、職場の組合に相談をしたところ、そこの幹部の人に「そんなら辞めちゃえばいいのに」と言われた。昔人事に言ったときもパワハラの主の名前を言ったとたんに顔色が変わって私を責め始めた。職場だけではどうにもならないらしい…

そもそも女性が仕事を継続していくのには、子どもをみながら男性と同じ基準の仕事をこなさなければならない。理解のない上司なんかにあたると最悪だ。朝7時から夜10時まで仕事して、休日も仕事して、どうやっても子どもに手がまわらなかった。「期待されているんだから感謝しろ」と上司は言うが、こんなことをいつまでも続けられるのは、家庭をもったら男性だけだ。安心して任せられる親や夫が協力してくれるならいい。うちは母親だけではメンタルのケアまでは手がまわらないし、夫は単身赴任で頼ることはできなかった。

仕事を辞めて、子どもを育てることに専念すると、子どものためのお金を全て夫に頼らなければならなくなる。旦那が理解してくれる相手ならいい。そんなの不可能なのが分かっているから、女は子供を産むと強く狂暴になるんだ!

転職も考えた。でも子どもがいる、子どもを見るための時間をとると、田舎なので短時間のパートもそんなになかった。一番条件がいいのは障害者雇用の事務だったが、私は手帳すらもっていなかった。

転勤族という制度はことのほか家族には残酷で、夫についていくと転勤の度に子どもの環境も私の環境もリセットになる。それを繰り返すと病気でない人でもかなりの割合でうつになる。知り合いは親が転勤族で引っ越しの度に元気がなくなって、最後は引きこもりになってしまった。

夫に転職してもらえないか聞いたが、仕事を変えても自分中心の生き方は変える気はないのが話していてよく分かった。

雇われているだけの人間なんて弱い。自分でお金を社会から受け取れないと組織だけに頼ると、こういうことがおきる。年齢がいってしまうと転職も厳しく、子どもがいるとある程度の収入が見込めないと身動きができない。

労働専門の弁護士さんなんかも見つけて相談したが、やはり、国のルールとして女性はこの状況を受け入れて仕事をするのが当たり前になっているとわかった…。

どうしたらいいのか年単位で頭に円形脱毛症ができるほど考え続けていた。

とうとう私は覚悟を決めた。疲れた身体とメンタルを抱えながら、休みはじめたころ、最後の力をふり絞って職場での出来事のほとんどをパソコンで打った。それを3部印刷して上司に渡した。

それから上司の対応が変わった。いきなり「どこに異動したい?」と聞いてきた。上司とは自分の「責任」が大嫌いな生き物だ。精神疾患の診断書で時間の猶予をいただいて、態勢を整えながら、上司に「真実」を突き付けることで、やっと「職場と交渉する立場」を手に入れた…

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