H先生からの恩

元主治医のH先生は数年前にご高齢で亡くなられてしまった。

H先生には言葉で言い尽くせないほど助けていただいた。

それだけに、H先生亡き後の主治医とのコミュニケーションではかなり苦労した。

H先生は、こちらが何も言わなくても治療や社会で生きていくために重要なところに興味をもって聞いてきてくれた。

何がなくても15分、問題があるときは1時間くらいとことん問題につきあってくれた。

精神疾患が「社会的な病気」であることを前提にして、私がパワハラにあって病気休暇をとったときは職場の上司を呼んで医師としての意見を強く言ってくれた。「パワハラが原因でこうなったんですよ!」と。その前には、必ず私にどうしたいかまで聞いてくれた。

「あなたはこのまま職場で出世したいですか?」なんて聞いてくれた。

ちなみに私は「出世よりとにかく続けていきたいです。」と答えていた。

「よくわかりました。」と言って、H先生はそれを踏まえて、職場の上司を呼んで、

「精神的な病気の方には、なるべく事務的な作業をあてがってください。」なんてアドバイスまでしてくれていた。

ありがたすぎて泣いた。

それから職場に提出する診断書には、当時は統合失調症では偏見があるだろうからと「適応障害」と書いてくれた。

上司にあとで「適応障害」とは何なんだ、と詰め寄られたけど…

診断書の内容も、いつも書いたあとに読み上げてくれて「これでいいですか?」とその都度聞いてくれた。

それでとても安心していられた。

病院や先生によっては診断書を患者には見せないでやり取りするのが普通のところもあるようだけど、今もなるべくそのあたりがオープンな先生にかかるようにしている。

ちなみに、医療機関向けの診療情報提供書(紹介状)には正直に「統合失調症」と書いていただいていた。これは適切な医療を受けるには正確な情報が必要なので私も当たり前だと思う。

H先生は、ある病院への紹介状を書いていただくときも、その病院からは「医療機関から直接FAXで紹介状を送ってください」と依頼されていたにも関わらず、絶対にそれをしなかった。

「FAXは送り間違いが発生する。患者の大事な個人情報をFAXで送るなんて絶対にしない」

という信念があったようなので怒ったように言われた。

最近はかなり薄くなったけど、以前は「統合失調症」には大きな偏見があったように感じる。

H先生はそれを十分理解してくれていて、そんな「社会の矛盾」と患者と一緒になって、医師としてできる限りの知識や技術や権力を総動員して戦ってくれた。

ともすると統合失調症患者であるというだけで医師にすら信じてもらえないことがある。

親ですら、家で「統合失調症」という名前をだすと怒りだしたし、「お前は病気じゃない」といつも病気でない基準の行動を求められていた。

そんな中で、H先生が医師として薬を処方するだけでなく、カウンセラーのように心に寄り添って悩みに共感してくれたり、上司として職場での悩みにアドバイスしてくれたり、ときには権力者として社会の矛盾と一緒になって戦ってくれたりした。

H先生に恩返しがしたかった。

上の子を産んだとき、先生はその子に会いたがっていた。

育児に関してもH先生は精神科医として知っている限りのアドバイスをしてくれた。

それが今でも驚くほど役に立っている。

産後、身体がボロボロでどうしても自分の力だけでミルクやオムツをもって、産まれたばかりの赤ちゃんをのせて、車で1時間半かかるH先生のいたクリニックまで安全に運転するのが怖かった。それで赤ちゃんに会わせることができなかった。その後すぐに転居したので、結局H先生に赤ちゃんを見せることはできなかった。

H先生は、その時だけは赤ちゃんに会えなくて少し怒っていた…とても残念そうにしていた。

また、H先生は良心をもった力のある先生に会えたら必ず「お礼状を書きなさい」とアドバイスをくれていた。

それは、良心をもったH先生自身が一番嬉しいことだったのだろうと今となっては思う。

そんなH先生に、私は1度だけしかお礼状を書いたことがない。

上の子を出産して地元から離れるときに1回だけ、産後の疲れ切ったもうろうとした頭で何とか書いた。

なんか、余裕がなかったときなので、いつかもう一度ちゃんと書きたいと思っていた。

数年前にH先生が亡くなられたのも、実はネットで知った。

ある日、H先生がそのころ勤務していた病院を突然退職された。

それから、どうしているか心配していた。

ある日、ふと思いついてネットで検索してみたら、ウィキペディアに先生のことが載っていて、亡くなられたことを知った。

あれだけの方だったので、多分身近な誰かが載せてくれたのだと思う。

そこで初めて、H先生の知識の深さの理由の一部を知った。

本当に、恩は返したいときにその人はいなかったりする。

これがあってから、受けた恩はなるべくその人に返せるときは返しておきたいと感じるようになった。

それから、自分の受けた恩をまた新たな人に返したいとも感じる。

H先生が命を懸けて取り組んでいたことにも、微力でも当事者として遺志を受け継ぎたい。

私もいつの間にか、40代も半ばになってきてしまった。

人の人生を道に例えると、40歳のころに真上に太陽があるらしい。

40歳くらいまでは太陽は前にあるが、40歳を過ぎたあたりから後ろになる。

そうして、自分の「影」が見えてくるそうだ。

その「影」とは「自分の人生は有限だと気が付くこと」であり、「自分の人生でやり残していること」でもあるらしい。

私も40歳を過ぎてから、迷うことが多くなった。

「このままでいいのだろうか」

「H先生からの多大な恩を、なにかの形で返していけないだろうか?」

まずは、自分自身が幸せになること。

それから、自分以外の人にも幸せを返していける存在になること。

ひっくり返ってもH先生のようにはなれないが、自分でできることはやっていきたい。

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