統合失調症で医療保護入院をする直前の話です。
人生で一番つらかった時期の一つです。
当時の幻聴や妄想の内容は、思い出したくないほどしんどいのでここでも書きません。
妄想で、これまでの世界観が全て崩壊していたうえに全てに責め立てられているような生き地獄を体験していました。
すでに狂っているのに、いっそのこと発狂して意識のない世界に行きたいと心底願っていました。
女性の統合失調症の人には妄想についてとても書けないことも多いだろうと思います。
当時社員寮で狂ってどうにもならなくなっていたときに、手元にお寿司屋さんの奥さんの書いた本があったのにふと気づきました。
私はぶるぶる震えながら親に電話で「仕事を辞めて寿司屋の奥さんになる」と親にとって一番嫌なことを言い出しました。
親はそれまで私がどんなに「生き地獄だ!」「苦しい」と泣き叫んでも気にもしなかったのですが、親にとって自慢の会社を辞めるといいだしたことで初めて困って、私を実家に連れ戻しにきました。
そこで初めて私が「狂っている」ことにやっと気づいたようです。
その直前に、それまで病院で出されても決してのまなかった薬を、死にたいと思って一気に飲みました。
先にも後にもOD(オーバードーズ)をしたのはこの一度だけです。
それでも死にませんでした。
そして動けなくなって私はあっさりと両親に実家に強制送還させられました。
実家に帰ってからもテレビすら怖くて、誰もなにも信用できない状態でした。
だだ、当時の飼い犬だけは相変わらずかわいいと思えました。
両親に車のキーも取り上げられ、運転できないので逃げることができない田舎の実家で、真冬の寒い日に、コートも着ないで一人で犬の散歩に行きました。
コートも両親に取り上げられていて、靴だけ履いて散歩にでかけました。
犬の散歩とは名目で、妄想のなかで私を殺そうとしているのは両親で、私は逃げ場を探していました。
長い長い、先の見えない散歩でした。
真っ暗な冷え切った夜でした。
20分くらい歩いて、車の通りの多い道路まででてきました。
びゅんびゅん飛ばす車を見て、この前に飛び出せば私は楽になれるのだろうか、と思って一瞬前に進みました。
そうしたら、飼い犬がひかれそうになって「ワン!」と吠えたので正気に戻りました。
かわいそうな飼い犬はちょっとひかれて片足を引きずっていました。
飼い犬の姿を見て、私は車の前に飛び出すのをやめました。
今となっては、車を運転している人に謝っても謝り切れないほど多大なるご迷惑をかけるその行為をしなくて本当に良かったと思っています。
当時の飼い犬は命の恩人です。
それから車道の反対側をみると、小さな食堂を見つけました。
寒い冬の夜にセーターだけの姿で、病気で二日くらい何も食べられないふらふらの足で、その食堂の人に、震えながら「助けてください。両親に殺されそうなんです。」と私は言いました。
その食堂には、そのとき他にお客さんはいなくて、食堂の人はお金ももっていない私に温かいラーメンを作ってくれました。
私はそのラーメンに口をつけることすらできませんでした。
その食堂では何匹も猫を飼っていて、猫たちが疲れ切った私に寄り添ってきてくれました。
手が震えて物をつかむこともしんどかったです。
そのお店の人は私に実家の場所を聞き出し、両親に連絡をとってくれました。
両親は慌ててやってきて「このことは誰にも言わないでください」とお礼と一緒にお願いしていました。
両親は困り果てていました。
精神病院なんかに私を連れていったらとんでもないことになる、と本気で思っていたようです。
そこに、精神疾患に理解がありそのときの私の状況をよくわかってくれていた大学時代の恩師が「どこでもいいから「病院」と名のつくところに連れて行ってください」と親にアドバイスしてくれました。
親は、私にせめてもの救いにと「どの病院に行きたいか」聞いてきました。
私は最初にかかった職場近くの精神科病院に行きたいと言いました。
「あんなところに行くのか!」と両親は驚いていましたが、とりあえず連れて行ってくれました。
そして私は医療保護入院をすることができました。
入院してからも、両親は「こんなところにきて…おかしくされちまう!」と面会の度に慌てふためいていました。
実は、当時かなり一緒にいるのが不安な両親の元を離れて、病院に入院できて私はやっと安心して療養できました。
もう、両親から責め立てられながらやりたくないことをやらされる人生なんてまっぴらだ!
そう考えていたので、私は入院先で「一生入院していたい」と本気で思いながらかえって落ち着いて療養できたのでした…