入院したのは、当時新しく建て替えられたばかりの精神科病院の閉鎖病棟でした。
一か月くらいは薬も多く、あまり記憶がありません。
当時は病院の中もボヤっとしか覚えていません。
一か月くらいたって、幻聴とか妄想が無くなりました。それ以来、現在に至るまで、自覚症状としては幻聴がでてきたことはありません。
元気になってきた私は一人では暇になって、症状の落ち着いた人のいる4人部屋に移してもらいました。
そのころ薬が効きすぎて一日中眠かったのですが、なぜかみたい夢が見られるという特技?ができました。
「なんか感動する夢を見たい!」
と思って眠ると、本当に感動する夢をみながら眠っていました。
看護師さんはよく寝る私をみて
「はなさんは寝相が悪い!」
と言ってあきれていました。
その病院は、のちに転院することになる病院の院長先生も驚くほど投薬治療が上手で、見ていると、皆入院当初はテンションが高いのですが、しばらくすると落ち着いてほんわかしていました。
病院の中で仲良しもできました。
いつも「若者軍団」と呼ばれて仲良し4人組みたいに遊んでいました。
優しい先輩もいて
「この病気は偏見があるから、外の世界では決して言わない方がいいよ」
と教えてもらっていました。
暇なときは病棟の中をぐるぐる歩いていました。
洗濯物を取り込むとか、買い物とかお風呂とか、時々病棟以外に行けるのが楽しかった。
入院したばかりのころはどこにも出口がないことにものすごくショックを受けはしましたが…
デイケアとか作業療法とかもありましたがデイケアは受けたことがありません。
作業療法は単純作業でした。
入院後半は半分以上外泊だったため、入院している気があまりしませんでした。
当時そこには、薬で症状が抑えられてはいても地域に受け皿がなくて病院に何十年もいる方が多くいらっしゃいました。
見ていても話していても全く違和感のない人たちが病院に何十年も入院していました。
レクリエーションとかもあって、ソフトクリームがでたりもしました。
長く入院している人にも配膳とかの役割があって、皆、何となく生き生きした病院でした。
当時の主治医の先生は、私の仕事については
「仕事が原因で病気になったのだからやめたほうがいい」
「あなたにはもっと合った生き方があると思うわ」
と私に言っていました。
それにしびれを切らした両親が当時の職場の上司に直談判をして、その後十数年お世話になる二人目の主治医にあてをつけてくれて、外泊の時に受診させてくれ、退院と同時に転院となりました。
入院先の先生は最初、転院を渋りました。
「あなたの実家の近くにいい病院はないじゃない」
とはっきりと言われました。
両親が実家から車で1時間の、地元ではない病院の院長先生であるその先生の名前を出して、さらにここでは通うのが遠いといったところ
「それがあなたのためになるのなら」
と言って紹介状を書いてくれました。
ちなみに職場には両親が診断書を提出してくれていたので、きちんと休職させていただいていました。
職場の上司も面会は先生が許さなかったものの職場まできてくれ、主治医に相談してくれていました。主治医はあとでそのことを私に話して名刺を見せてくれました。